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【冒険の国】の他シリーズヘ移動:【国について】・情景船舶機関車自動車A自動車B戦闘車二輪車キャラクター
          ラジコン部品他リアルフィギュアガシャポンキャラクターグッズ男児玩具エアガンガン用品冒険用品
発売元:ハセガワ 10730:1/200 発売元:ハセガワ 1/200 発売元:アオシマ 10705:1/200
商品名:スペースシャトル オービター
   アメリカ航空宇宙局 有人宇宙船
商品名:ピーチ エアバス A320 商品名:日本航空エアバス A300
発注:PH-01 \1,000 発注:PH-02 \1,600 発注:PH-03 \1,400
備考:オービター(軌道船)は人工衛星の設置
   、修理、回収や太陽熱の開発などの
   宇宙での作業を行う。
備考:関西国際空港を拠点に、日本で
   初めて本格的LCCとして誕生。
   使用機は全て新造のA320-200型
備考:1967年に英、仏、独の政府間の
  共同開発協定の締結により開発。
   模型サイズ L:265 W:223mm
発売元童友社 1/144 発売元ハセガワ 1/200 発売元:フジミ F32:1/72
商品名海上自衛隊 YS-11 
   現状残る唯一の使用機
商品名:全日空 ボーイング737-500 商品名F86F30 SABER
      米軍供与1号機・2号機
発注:PH-07 ¥900 発注:PH-08 ¥1,400 発注:PH-09 ¥1,500
備考:YS\11は戦後初めて我国の航空機
   技術と工業技術の粋を集めて開発・
   製造した本格的な国産旅客機。
備考:全日空は昭和32年に日本ヘリ
  コブター輸送と極東航空が合併。
  当初は国内線のみで運行した。
備考:朝鮮動乱時にミグ15との空戦は
    圧倒的な勝利に終わった。
    1950年代の主力として活躍。
発売元:フジミ F36:1/72 発売元:フジミ F33:1/72 発売元:フジミ F35:1/72
商品名F86F40SABRE 航空自衛隊
    第7航空団第9飛行隊(入間基地)
商品名F86F40SABRE 航空自衛隊
    第2航空団第3飛行隊(千歳基地)
商品名F86F40SABRE 航空自衛隊
    第1航空団第5飛行隊(浜松基地)
発注:PH-10 \1,500 発注:PH-11 \1,500 発注:PH-12 \1,500
備考:航空自衛隊は昭和29年F86セイバー
   を導入、当初米空軍より供与されて
   いたが、F40として国内ライセンス生産。
備考:F86F40は主翼両側がそれぞれ
    12インチづつ延長され、主翼の
    前縁に自動スラットがつけられた。
備考:F40はその軽快な運動性能を利用し、
  アクロバットチーム、ブルーインパルスの機体と
  してT-2にかわるまで永く使用された。
発売元:マイクロエース 1/144 発売元:フジミ F44:1/72 発売元:ハセガワ し16:1/72
商品名:P-3C オライオン 商品名:TA-4J VT-22 ゴールデンイーグル 商品名F-104J スターファイター
発注:PH-13 \1,600 発注:PH-14 \900 発注:PH-15 \1,200
備考:航空自衛隊 第4航空群 第6航空隊
   厚木基地所属の大型対潜哨戒機で、
   データ処理装置、PC、テレタイプ他
   情報処理搬送システムも有する。
備考:1966年複座式高等訓練機として
    部隊配属された。
    最大速度1,086km/H

    
海軍75周年記念塗装機
備考:小型軽量な機体で大推進力エンジン
   を搭載し、マッハ2の超音速戦闘機
   として開発されたが、小型ゆえに
   データリンクなどを搭載できず。
発売元:ハセガワ C7:1/72 発売元:ハセガワ X48-6:1/48 発売元:ハセガワ X48-4:1/48
商品名B-25J 爆撃機 ミッチェル 商品名US海軍デッキクルーセットA 商品名USグランドクルーセットA
発注:PH-16 \3,200 発注:PH-17 \1,000 発注:PH-18 \1,000
備考:アメリカ陸軍航空隊の双発爆撃機で
    第二次大戦末期に最も量産された。
    同型のB-25Bは日本本土を初めて
    空襲し、我国に心理的圧迫を与えた
備考:パイロット、カタパルト要員・士官
    誘導員・誘導キャプテン、整備員
  兵器要員、燃料補給要員129ピース
備考:パイロット、誘導員、セキュリティポリス、
   整備員エンジン始動車、油圧テスト車
   など76ピース
発売元アリイ 1/48 発売元アリイ 1/48 発売元アオシマ 1/72
商品名カーチスP-40E
       ウォーホーク
商品名川西局地戦闘機 「紫 電 」
      (N1K1-J)
商品名川西局地戦闘機 「紫 電 改」
      (N1K2-J)
発注:PH-19 ¥800 発注:PH-20 \800 発注:PH-21 \1,200
備考:第二次大戦の全ての戦線で連合国軍
  の多くに使用され、どんな任務にも適し
  ていたため、非常に多く作られた。
  580km/Hの最高速度を出す。
備考:昭和18年、第二次世界大戦の
 真っ最中に制式採用になり、内地の
 防空戦や特攻機として使用された。
 全長8.9、全幅12、機銃4基
備考:大戦末期に紫電が馬力で海軍航空
  隊の切り札として登場。 内地防空戦
  や特攻機として使用されたが、不具合
  が続出し、「紫電改」へと改良される。
発売元:タミヤ 61016:1/48 発売元:タミヤ 61025:1/48 発売元:ハセガワ D22:1/72
商品名三菱 零式艦上戦闘機 21型 商品名三菱 零式艦上戦闘機 32型 商品名三菱 零式艦上戦闘機 52型
発注:PH-22 ¥1,200 発注:PH-23 ¥1,000 発注:PH-24 ¥1,000
備考:第二次大戦初期、速度、航続距離、
  空戦性能など、あらゆる面で当時の
  各国戦闘機の中でもトップレベルに
  あり、インド洋、太平洋の制空権を
  とった主役でした。
備考:21型の改良型で出力を向上し、
   最高速度が10km/H前後アップた
   のと、空母搭載を容易にするため
   翼幅を11mに切りつめ、翼端を
   特徴的な角型に整形しました。
備考:21型も昭和18年頃になると、速度、
   火力の面で劣るようになり、翼幅を短く
   し、排気管を改良するなどにより速力
   を上げ、終戦までの間52型は約6000
   機が生産されました。
発売元タカラトミー 1/144 発売元:ユニオンモデル 中級者向 発売元:ユニオンモデル 上級者向
商品名:世界の傑作機シリーズ 3  商品名:ライトプレーン ユニオン 商品名:ライトプレーン ペガサス
発注:PH-25 ¥380 発注:PH-26 ¥600 発注:PH-27 ¥900
備考:メッサーシュミットBf109F-4ハンス大尉機
  :フォッケウルフTa154全木製夜間戦闘機
  :フォッケウルフ190D等 全13種中身不詳
備考:A級滞空競技機
    機長470mm、翼巾500mm
    木工用接着剤別売
備考:B級滞空競技機
    機長637mm、翼巾690mm
    木工用接着剤別売
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 飛行神社と二宮忠八(最初のゴム動力飛行器の飛行成功者)について

八幡神社


背割り堤



二宮忠八


飛行神社


カラス型飛行器



ゼロ戦の残骸































リンドバーグ夫妻

 京都府南部、木津川・宇治川・保津川(桂川)の三川が合流し淀川となる地点は、下流に
向って右手は山崎の合戦で有名な大山崎、左手は古くから弓矢の神様として崇められる
応神帝を奉る男山石清水八幡宮のある八幡市になります。  ここは八幡宮の門前町として
瀟洒なたたずまいの落着いた雰囲気のある町です。 京阪電鉄八幡市駅の駅前にはトーマス
・エジソンの胸像が立っています。 これは白熱灯の発明時に、その発光体であるフィラメントに
八幡の竹(真竹)が使用された事に拠るもので、現在同市ではエジソンの生誕地である米国
マイラン村と友好都市協定が結ばれています。  その駅前通りを南東に5分ほど歩くと飛行
神社があります。この神社は大正4年二宮忠八が航空安全と航空事業の発展を祈願して、
自邸内に私財を投じて創建したもので、御祭神には古代の空の神といわれた、饒速日命(
ニギハヤヒノミコト)を奉じています。 
 
大正に入って、世界はいよいよ飛行機の時代へと動き、飛行機による犠牲者も多く出る
ようになりました。  神職試験に合格した二宮忠八は自分が航空界につくすことができる
唯一の道は尊い空の犠牲者の慰霊にあると考え、磐船神社より分霊を贈られ、この地に
飛行神社を創建し、現在も多くの航空関係者の参拝を受けています。
話は前後しますが、二宮忠八の航空器に対する足跡について少し触れてみたいと思います。
二宮忠八は慶応2年愛媛県八幡浜に生まれ、明治13年伯父の薬種商の手伝いをするうち、
物理や化学に深い興味を持ち、また測量技師の手伝いをするなど、働きながら独学で得た
知識を生かして、独創的で奇抜な凧を作り、人々を驚嘆させるものであったばかりではなく、
ビラまき用・宣伝用として実用価値のあるものでした。 
明治20年(1885年)丸亀の歩兵第十二連隊付の看護卒として入営、そのころ村田経芳少将
によって村田銃が発明されたのに刺激されて、発明に大変興味を持つ様になりました。 
明治22年四国山岳地帯で行われた秋季機動演習中昼食をとっていると、鳥が40〜50羽
残飯を求めて谷を横切って翼を広げたまま固定翼で滑空しているその姿に大変興味を示し
観察する。 最初15度くらいの角度で上向きに飛び上がってから、降りる速度で体を空中に
浮かしていることに気が付きました。 物理学上一つの物体に方向と速度の違う二つ以上の
力が働くときは、その力の作る平行四辺形の対角線の方向に進む(推進力)という原理の
あったことを思い出しました。それが彼の空を飛ぶ機械発明の大ヒント(飛行原理の発見)に
なりました。 以後研究を重ねて「カラス型飛行器」を完成し飛行に成功しました。 
次に人の乗れる「玉虫型飛行器」を考案、明治26年設計を完了し(ドイツのオット・リリエンタールが
グライダーの研究をはじめたのは3年後の明治29年、ライト兄弟が動力飛行機を飛ばす事に
成功したのが明治36年で実に12年も後のことでした)試作実験に入る矢先、日清戦争が起こ
り出兵。  戦場の様子を見て、自分の考えている飛行器を軍に供用すれば便利であろうと
考え、軍用機として軍によって研究開発してもらうべく、飛行器の設計図を上申書に添えて
願い出たが却下されました。 その後も何度か改良を加えた上申書を軍に提出したが、時に
利有らず、やはり却下されました。 そこで、忠八は独力で作るしかないと決意し、明治31年
軍を除隊し大日本製薬鰍ノ入社、優れた業績をあげて後に常務取締役までなりました。
武田長兵衛、田辺五兵衛、塩野義三郎の諸氏はいずれも忠八を理解してくれた会社の重役
でした。  資金が出来たある時、岩清水八幡宮に参詣しました。故郷の八幡浜と同じ八幡
の名になつかしさを覚えたと同時に、すぐそばを流れる木津川の土手を歩いて行くうち、橋本
のあたりは一面の砂原で飛行機の実験には最適の場所であることに着目、同地に引越し、
実験の準備にかかりました。(以上飛行神社資料参照)
しかし、明治36年12月アメリカのライト兄弟が人類最初の動力による飛行に成功した報をえて、
以後飛行機の開発を断念、前記の飛行神社の創建につながってゆきます。
 日清、日露戦争までの時代の制海権、第一次大戦以後の制空権、これらがそれぞれ船、及
び航空機の果たす役割は大変大きいものがあるのは間違いないでしょうが、それらを産み、
さらに育てるには、一人の天才発明家 (エジソンは99%の努力と1%のインスピレーションと言って
います)の努力をその社会が応援する環境が必要であることを痛感させられます。
 何も戦争に勝つことが目的でなくても、結果的には技術の進歩は人類の幸福をもたらして
くれる両刃の剣であることも理解されます。
 ここでもう一度「飛行」について見直して見ましょう。 「飛行」について深く考えたのは、多分人類の歴史が始まって以来と思われます。 アフリカの樹上生活の時にも多くの転落死を目撃し、モモンガの滑空にあこがれた事でしょう。 また樹上から豊富な食べ物を求めて平原にその拠点を移した時には目線の低さに大変な
ストレスを感じた事でしょう。 古代に入ってエジプトやメソポタミアに起こった文化は自然の恩恵と自然の恐ろしさを体験した中から出てきた神の存在(宇宙を司る最高神である善神とそれに対立する悪神)を信じる宗教に発展し、多くの善神が空にあり、翼を持つ天使として描かれています。    左図は少し後にインド・ヨーロッパ系アーリア人による古代ペルシャのゾロアスター教の最高神「アフラ・マズダー」を現したもので、やはり背中に大きな羽を持っています。
その後、ヨーロッパに渡りミトラ教、インドから中国、我国には仏教にこの「善神=大日如来・
悪神=阿修羅」の思想が影響を与えますが、天使の羽像は次第に消えて行きます。 そして
人類中心の中世・天動説の時代を経てようやく近世・地動説自然科学の時代に入ります。 
それまでは神の領域であった天空を人間の叡智により支配しようとする試みは多くの努力と
失敗・犠牲を伴う作業でした。 科学的な飛行について後に強く影響を与えたのは13世紀の
ロジャー・ベーコンや15世紀のレオナルド・ダビンチですが、彼らの時代はまだ危険思想とし
て見る反社会的な理論でした。 それがルネサンス運動、産業革命を経て自然科学思想の
台頭とともに神の領域であった空への挑戦の機運が高まります。 
 そして上記のような オットー・リリエンタール(1896年墜落死)、二宮忠八、ライト兄弟、リンドバーグ、エイミー・ジョンソン(右図:1930年女性初の英・豪間単独飛行し来日経験もあり)、アメリア・イアハート(1932年大西洋単独横断飛行、’37ニューギニアで消息不明)等と多くの冒険を繰り返します。 その結果、未開の地を知ることができました。 航空写真は正確な地図を作りました。 移動時間を飛躍的に短縮することが出来たことにより世界はよりグローバルになりました。 その事により多くの文化の交流がありました。   1931年アン・モロー・リンドバーグは夫と共に来日し、日本を
去る時「さようなら」の声に送られました。 それは「そうならねばならぬのなら」という意味だ
と聞いて「なんと美しいあきらめの言葉」だと、自身の長男の誘拐され殺害された長い過酷な
時間を乗り越えた経験からして、大変感銘を受けたと伝えられます。
 険しきを冒すと書いて文字通り「冒険」となりますが、「未知への挑戦」には厳しさを乗り越え
るロマンがあります。 「80日間世界一周」「翼よあれがパリの灯だ」などロマンチックな映像と
音楽が永く人々を魅了します。