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【冒険の国】の他シリーズヘ移動:【国について】・情景・航空機・機関車・自動車A・自動車B・戦闘車・二輪車・キャラクター・ ラジコン・部品他・リアルフィギュア・ガシャポン・キャラクターグッズ・男児玩具・エアガン・ガン用品・冒険用品 |
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発売元:アオシマ | * | 発売元:アオシマ | * | 発売元:アオシマ | * |
商品名:ギリシャの軍船 | 商品名:ローマの軍船 | 商品名:バイキング船 | |||
発注aFPF-01 | \2,000 | 発注aFPF-02 | \2,000 | 発注aFPF-03 | \2,000 |
備考:紀元前100年頃、古代ギリシャ では竜骨を中心とした牽牛な構造の 軍船が造られていた。 L:173 W:85 H:107ミリ |
備考:紀元前50年頃、ローマの軍船には 約120名の兵士と300名の漕ぎ手が 乗船していた。 L:170 W:67 H:125ミリ |
備考:9世紀頃には竜骨を採用したこと によって、安定性とスピードが格段に 向上し、遠く北米までも進出した。 L:173 W:85 H:107ミリ |
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発売元:イマイ | * | 発売元:アオシマ | * | 発売元:アオシマ | 1/350 |
商品名:中国のジャンク | 商品名:サンタマリア | 商品名:カティサーク | |||
発注aFPF-04 | \1,350 | 発注aFPF-05 | \2,000 | 発注aFPF-06 | \1,800 |
備考:8世紀の中国にはすでに600トンの 帆船(当時世界最大)がありました。 15世紀には全長120m、3000tもある 帆船を造りました。 |
備考:1492年、コロンブス以下39名を 乗せてスペインを出港。 69日間の 航海の後新大陸に近づきました。 L:173 W:85 H:107ミリ |
備考:英国クリッパー型貨物船。 1869年進水。 中国から英国へ 紅茶を輸送した高速船。 L:229 W:98 H:174ミリ 実船:L:86m w:11m 排水量:963t |
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発売元:アオシマ | 1/350 | 発売元:アオシマ | 1/350 | 発売元:アオシマ | 1/350 |
商品名:日 本 丸 | 商品名:海 王 丸 | 商品名:エスメラルダ | |||
発注aFPF-07 | \1,800 | 発注aFPF-08 | \1,800 | 発注aFPF-09 | \1,800 |
備考:元日本運輸省航海訓練所所属、 昭和5年に神戸川崎造船所で建造。 補機として600馬力のディーゼル2基。 L:276 W:66 H:160ミリ 実船:L:97m w:13m 排水量:2278t |
備考:元日本運輸省航海訓練所所属、 昭和5年に日本丸とほぼ同時に 神戸川崎造船所で建造。 L:276 W:66 H:160ミリ 実船:L:97m w:13m 排水量:2238t |
備考:チリ海軍所属練習船。 1952年進水。 現存する4本マスト では日本丸・海王丸を含め4船のみ 実船:L:113m w:13m 排水量:3673t |
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発売元:アオシマ | 1/350 | 発売元:アオシマ | 1/350 | 発売元:バンダイ | 完成模型 |
商品名:イーグル | 商品名:ダンマルク | 商品名:ワンピース ゴーイングメリー号 | |||
発注aFPF-10 | \1,800 | 発注aFPF-11 | \1,800 | 発注aFPF-12 | \3,800 |
備考:米国沿岸警備隊実習船。 1936年 ナチス・ドイツの練習帆船として造られた ホルスト・ヴェッセルが米国に渡る。 L:255 W:65 H:169ミリ |
備考:デンマーク通産省所属練習船。 1933年に建造された3本マストの バランスの良い小型練習船。 L:220 W:55 H:149ミリ |
備考:ゾロ、ナミ、ルフィ、チヨッパー、サンジ、 ウソップ付き 操舵性に優れたキャラベル型の中型船。 全長約280mm. |
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発売元:日精 | 1/2000 | 発売元:日精 | 1/2000 | 発売元:日精 | 松本零士氏監修 |
商品名:戦艦 大 和 (ケース入り完成模型) |
商品名:戦艦 武蔵 (ケース入り完成模型) |
商品名:宇宙戦艦 ヤマト (ケース入り完成模型) |
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発注aFPF-13 | \1,500 | 発注aFPF-14 | \1,500 | 発注aFPF-15 | \1,500 |
備考:昭和15年8月進水。 16年2月 連合艦隊旗艦となり、8月旗艦を武蔵 に引継ぐ。 20年4月沖縄出撃を米軍 に察知され米軍攻撃機により撃沈する。 65千トン、全長263m 速力27ノット |
備考:世界最大の大和型戦艦として昭和 17年竣工、46cm砲9門を備え、敵艦の 射程外より攻撃できたがレイテに航行中 艦載機150機の波状攻撃を受け沈没。 69千トン、全長263m |
備考:海底に眠る「戦艦大和」を200年 後の科学が蘇らせた、松本零士作の テレビアニメ作品で、1971年に初回放映 され、後劇場映画によって大ブームを 巻き起こした。 |
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発売元:ハセガワ | 1/700 | 発売元:フジミ | 1/700 | 発売元:フジミ | 1/700 |
商品名:特設病院船 氷川丸 (透明レンジ製波ジオラマ付) |
商品名:特設給油艦 東邦丸 | 商品名:特設給油艦 極東丸 | |||
発注aFPF-16 | \2,2000 | 発注aFPF-17 | \2,800 | 発注aFPF-18 | \2,800 |
備考:昭和5年日本郵船が建造。16年に 海軍に徴用され病院船となり南方で 従事、3万人もの負傷兵を救った。 12千トン、全長156m、速力18ノット |
備考:昭和16年日本海軍に徴傭され、連合 艦隊配備となり、真珠湾攻撃に向かう 機動部隊の軽巡洋艦、駆逐艦への 給油活動を行った。 |
備考:昭和13年川崎重工神戸で民間の タンカーとして建造され日本海軍に徴傭、 特設給油艦は排水量1万トンクラス、 艦の前後に砲兵装備を搭載する。 |
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発売元:アオシマ | 1/700 | 発売元:童友社 | 1/700 | 発売元:童友社 | 1/450 |
商品名:春 日 丸 | 商品名:戦艦 三 笠 | 商品名:南極観測船 しらせ | |||
発注aFPF-19 | \1,000 | 発注aFPF-20 | \3,800 | 発注aFPF-21 | \2,500 |
備考:昭和15年日本郵船の豪華客船 として北米航路に就航したが、直後 に特設航空母艦大鷹として改造。 18千トン、全長180m、速力21ノット |
備考:日露戦争・日本海海戦の旗艦で 連合艦隊司令長官・東郷平八郎の 搭乗艦。 横須賀市に永久保存。 15千トン、全長132m 速力18ノット |
備考:宗谷、ふじ、に続く南極観測船で 海上自衛隊に所属する砕氷艦として 昭和57年より就役。 昭和基地の拡大 にともない、より強力な輸送能力・砕氷 能力が必要となりました。 |
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発売元:タミヤ | 1/700 | 発売元:シールズモデル | 1/700 | 発売元:タカラトミー | 完成模型 |
商品名:輸送艦 おおすみ | 商品名:南極観測船 宗谷 | 商品名:世界の艦船 シリーズ05 | |||
発注aFPF-22 | \2,400 | 発注aFPF-23 | \2,000 | 発注aFPF-24 | 各\380 |
備考:平成10年海上自衛隊最大級の 新鋭輸送艦として就役、2隻のエア クッション艇によって車両や人員を 直接陸上に輸送することが出来る。 9千トン、全長178m、速力22ノット |
備考:昭和13年海軍の耐水貨物船として 建造され、戦後は引揚船として活躍。 昭和31年31年南極観測船として改造。 オビ号による救出、タロジロ生還など 4818トン、全長83.7m、速力12.5ノット |
備考:1・2ウェーブピアサー、3初春、4初霜 5・6・7Uボート、8・9漢型、10・11シークリフ 12ムスカ1号ベルグ艦、13ミサイル艇1号型 以上13種+シークレット2種=全15種 |
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大航海時代(香辛料・金銀を求めた新航路開拓時代)について | |||
![]() ![]() ポリネシアの丸木舟 ![]() ギリシァの軍船 ![]() バイキングの船 ![]() カティーサーク号 (主に中国ティを運搬) ![]() ![]() |
「船舶」を見る上で、大前提になるものは「水に浮かぶ移動手段」という事ですが、私たちの住むこの地球面積の71%、3分の2強が海であるということが重要なキーポイントとなります。つまり、総面積5億1千万平方kmのうち、3億6千万平方kmにも及ぶ膨大な海が、ごく最近まで、人々の生活圏を限定し、その結果、それぞれの地域独自の文化を築いてきたということです。 それは何世代にもわたる生活の工夫と深い叡智を築いてきました。 しかし他地域、海を隔てた遠隔地の文明・文化や豊かな産物に接することが出来ませんでした。 そのことを原点にして、「船」というものをもう一度見直してみたいと思います。 四大文明は大河の畔に芽生えました。 河の水は飲料や作物を育てていく上で無くてはならないものであったでしょうが、併せて大量の人や物資の移動交通手段として果たした役割は大きかったことは容易に想像されます。 中でも排水量と同じ重さの浮力をもらうことが出来る(
この原理は紀元前3世紀頃には、もうギリシャのアルキメデスによって発見されていました ) 船が重要な役割を果した事は間違いないでしょうが、まだ皮袋・草・木枝を組んだ「いかだ」の域を出なかったようです。 したがって、その当時の人たちの世界は、少なくとも「海を越えて」と言う範囲ではなかったと思われます。 ただ、この時代でも海洋生物の動きや気象を巧に把握して、どの方向に島があるのかを知り、左図のような双胴の丸太舟を駆って、果敢にスンダランドより我国やオセアニア諸島、果ては南北アメリカ大陸まで驚異的な西方移動をした海洋民族はありました。 人類の祖先がアフリカの樹上生活から草原に降立ち遊牧生活に入って以来、集団をまかなう食糧が確保出来なくなるとその一部が移動をし、陸伝いに世界各地に移動を繰り返してきました。 スンダランドからの海洋移動もそうした行動の一つであったと考えられます。 大航海時代(15世紀末〜16世紀)の主役を成した西欧諸国でも、フェニキア、ギリシャ、 ローマ時代までは地中海・紅海などの内海やヨーロッパ沿岸がその行動範囲でした。 しかし、この間にも地中海を挟んだ戦争(海戦)が度々おこっています。 サラミスの海戦 (ギリシャ軍 VS ペルシャ・フェニキア連合軍、フェニキア側溺死・戦死者4万人)、アクチウムの海戦 (ギリシャ:オクタビアヌス艦隊 VS エジプト:アントニウス・クレオパトラ艦隊)、ポエニ戦争 (カルタゴ VS ローマ、24年間で双方の戦死者10万人以上)などで、領土や覇権をめぐる戦いですが、敗れた側にはカルタゴのように国家そのものが無くなり、首都の土地は塩を交ぜられ、以後作物を作ることが出来ないようにされる過酷なものでした。 したがって当然その戦力の主体を占める戦艦には当時の技術・財力・叡智を集め、より速く・強い船が建造され、ガレー(手漕ぎ)船から帆付きの大型船へと代わっていきます。 11世紀〜14世紀にかけて、人口増加により食い詰めたノルマン人(バイキング)のイギリス・フランス方面への進入や、それをくい止める側でも同じバイキングを傭兵する、等での大量移動や、十字軍の遠征などで船の利用はますます重要なものとなりました。 船の性能も、あらゆる方向の風が利用できる帆船が多く利用される時代となりました。 さらに時代が進んで、帆船は大型化され、3本マストなどの帆装の改良により、大洋航海が可能になったことや、オスマントルコが地中海に勢力を伸ばし、東方貿易が困難になり、当時肉・魚の保存に欠く事が出来なかった爲、非常に高価であった香辛料(銀と等価)が手に入り難くなったこと、さらにはコペルニクス、ガリレオ、ケプラーと続く地動説の展開やトスカネリ、ピエール・ダイの地球球体説の浸透などの諸条件が積み重なり、15世紀末になるとスペイン・ポルトガルが中心となって、大洋航路を回る新航路の開拓が国家を挙げて行われるようになりました。 以後、1522年マゼラン(本人はフィリピンのマクタン島で殺害される)の世界一周航海まで続きますが、本来の目的である貿易の安定化・優先化をはかるために、開拓航路先の地に自国民を移民させ、文化・制度も導入する「植民地政策」が各地で採られます。 その後、太平洋戦争・第二次世界大戦まで、スペイン・ポルトガルに変わってイギリス・オランダや他の欧州諸国によってこの植民地政策は続けてこられましたが、第二次大戦を機に東南アジア諸国を中心にして独立運動が盛んになり、次第にこの政策は衰退しました。 この様に地域から大陸州域へ、さらに地球単位へ、人類の活動が広範囲に拡がる手段を果たしてくれた物として、「船」の役割は欠かすことが出来ません。 しかしそれ以上に、この危険を賭しての冒険・開拓の行動にはしらせた原動力は、人々の「未知の解明」、「将来への希望」が、大変な辛苦と忍耐・犠牲を強いられる事態を乗り越える勇気を与えてくれたものと思われます。 1910年代から30年代にかけて第二次大戦の初期までは制海権が各国の利益にとって大変重要な意味を持っていました。 その為、我国を含めて世界の有力国は大艦主義に走り、戦艦大和や武蔵をはじめ、豪華客船など6万トン超の巨大な船が建造されました。 しかし、太平洋戦争突入と同時に空母とそれによる制空権が支配する時代となり、そこに展開される速力は必然的に事前の情報力が左右する時代となりました。 こうして大和や空母信濃(当初大和型戦艦として建造計画)といった大鑑はほとんど戦闘に参加する事無く姿を消すことになります。 次章「航空機」で記します、二宮忠八の「玉虫型飛行器」についても、もう半世紀も後であれば国家プロジェクトとして受入れられていた事は確実でしょう。 そういった点では、我国はスンダランドからの移住以来、海洋民族としてのDNAを受継ぎ、海を重視し太平洋に活路を拓こうとした精神的土壌の一端がうかがわれます。 確かに我国は太平洋戦争中盤以降は情報を含む空中戦で欧米諸国に遅れをとりました。 しかし海洋国家としての尊厳・価値感は失われたものの、出光丸に見られるごとく海を知り、海と共存する技術は静かに伝えられているように思われます。 公害・温暖化・水不足など人為的な問題点を多く抱える中緯度以北の地域もそれなりに大切でしょうが、我国の本来内包するDNAは環太平洋の南方に向かう事も自然な流れのように感じられます。
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