産地直送品】 【商品登録の方法】 【なぜフリーランド】 【食糧自給】 【菓子の歴史
 人は活動する糧として、また成長する糧として食べ物を採って来ました。 
当然のことながら、それはまさに生活そのものであり、この地球上に生物誕生以来、
進化あり、突然変異あり、また興隆・衰退を繰返しながら現在では食物連鎖の頂点
に立っています。  その頂点に何時まで立つ事が出来るかは別として、「食物連鎖」
と言うものが植物が太陽光などの光のエネルギーを利用して二酸化炭素と水から
ブドウ糖などの炭水化物を作り出す
「光合成」というプロセスにより、化学エネルギー
を生み出す生産者であるとするならば、その最終消費者である人類(
実際はその排泄物
などをバクテリアによる分解を通じて食物連鎖システムとして循環されます
)が、この生命の根源
を成すべき生命維持のメカニズムと、トータルバランスを破壊するような事があれば、
植物のみならず人類の存立をも危うくするものになります。
 ここで「生きる」と言うことの再確認のために少し地球生物の進化について大雑把にまとめます。
そこには太陽・地球を含めて、宇宙に存在するもの全てがエネルギーの変換活動を繰り返しており、そうして
形を変えていくことが、まさに生命活動の実態であることが感じてとれます。

約54億年前  銀河系辺境にあった重い質量を持った超新星燃料水素を燃やし尽くして、大爆発が起リ
(銀河系超新星のビッグバン)、宇宙空間に粉塵・ガスが散乱しました。
その粉塵・ガスが次第に集まり、引力によりさらに吸引されて巨大化・高密度化され、
超高温による水素原子の核融合が起こり常に光り輝く原始太陽が成立しました。
※太陽は自らの重力により中心部で水素原子が押しつぶされて燃え上がり、温度が
  上昇する核融合反応(4水素→1ヘリウム)を続けています。  それは有限とは
  言え、約50億年は寿命が残っていると言われており、その間何も無ければ、この
  地球上に陽光を注いでくれる事が保障されています。
約46億年前

約45億年前

太陽の周りを周回していた星雲は次第に冷却し、鉱物粒子として凝縮するとともに、太陽風により
「質量の軽いガス」は吹き飛ばされてさらに重く大きくなり、太陽の引力より強くなった時点で周りの
微惑星(直径数km)・隕石を吸収しながら、太陽に近い水星・金星・地球・火星・木星・土星の順に
太陽系の惑星となりました。
原始の地球は隕石が頻繁に衝突し、その中には火星と同じ程の大きさの星(ジャイアント・インパクト)や
木星より外側に位置した水分がほとんどの小惑星もありました。
そして引力が増し大気を留めておく事が出来る程に成長した地球は上空を厚い雲で覆われました。
 やがてマグマの海に覆われていた地表は微惑星や隕石の衝突がおさまると次第に冷えて上空を
覆っていた雲が下がり、大量の雨を降らせ、海を造りました。 そして厚かった雲が薄くなり、太陽の
光が地表に届く様になりました。
          
※(生物の生存に対する地球の奇跡 
 私達が現存するこの地球が水と空気と適温等、各種の条件に恵まれて生物が生存出来ている事は周知の通り
です。 しかし、これ等の条件が地球に備わるには上記のような太陽系惑星成立の過程で奇跡的条件がいくつも
重なって、ようやく生物の生存が可能となったと言う事があまり意識されず、私達の普段生活する何億倍もの力や
エネルギーが、あたかも我々人類の力によって操作出来るかのような錯覚が充満しているような気がします。 
生命存在の可能性の星の話は地球に代わる世界を夢想する結果、地球そのものを軽視します。 その様な考え
方の延長線上には、自分達の故郷や国が住み難くなると他国に簡単に脱出出来るかのような錯覚があるように
思えてなりません。  すなわち「将来の事は考えても仕方ない、なるようになるさ・・」という考え方です。
地球生物にとっての奇跡的な幸運は、太陽の引力で吸引されなくてすんだ地球の卵が太陽との微妙な距離空間
にあって、水を含んだ微惑星を吸収しながら成長を続け、地球には本来無かった水分をもたらしました。 そして、
衝突時のエネルギーが気体の蒸発を誘い、地球に本来あつた二酸化炭素や窒素と共に大気圏(熱圏・電離圏、
中間圏、成層圏・オゾン層、対流圏)を構成し、有害は排して太陽の恩恵のみを得て、将来誕生してくる地球生物
の生存条件の重要な部分を確保した事です。
そして太陽風が地球を取巻いていた保温効果のあるガスを吹き払い、360℃程に冷え始めました。
やがて大気中の水分が雨として地表に降り注ぎ、を形成し、最初の生命の誕生を呼びました。
この様に見てくると現在生存する地球人類にとっては、主観的には過去何億年にさかのぼっても成功体験ばかり
であり、その延長上に時は流れて行くものと感じるのはごく当り前の感覚かも知れませんが、少し客観的に見ると
奇跡的条件が幾重にも積み重なって生存が可能であった事が解ります。
約35億年前 地球形成時にあった揮発性成分が、紫外線や電気放電を化学反応のエネルギー源としてメタンや
アンモニアが生成されました。 さらに水と反応する事によって蛋白質アミノ酸が生成されて有機物
が出来ました。 何度も炭素化合物結合を繰返している中に偶然正しく結合された結果、太古の海
生物が誕生したと考えられます。
この最初の生物は嫌気性で酸化反応性の高い酸素と光を有害物としました。
約28億年前

カンブリア
この頃になると無尽蔵にある二酸化炭素と光エネルギーを利用して「光合成」を行い、余った酸素を

シアノバクテリア


ミトコンドリア
放出するシアノバクテリア(ラン藻)と呼ばれる細菌が登場します。
当初は数も少なく、余った酸素は酸化されやすい鉄などの物質の酸化に消費されま
したが、量を増すにしたがって大気中に酸素が溜まるようになります。  
酸素呼吸を利用したエネルギー生成は生物にとって酸化という危険性はあるものの
従来の嫌気性生物のエネルギー生成に比して有機物分解が速く格段に効率的です。
そのため生物の進化は進み細胞の中に「ミトコンドリアという一種の酸素エネルギー
製造工場を持ち、独自の遺伝子も持つ別生命」を内在・共生(細胞内に取り込み)
させた真核生物が登場し、現在の人類にまで延々と引継がれます。 
※「ちなみに、このミトコンドリアは現在でもなお殆どの動植物の中に内在し、糖や脂肪
  などを酸素と反応させ、アデノシン三リン酸というエネルギー源を作っています。
  酸素を必要としないエネルギー代謝には糖分解があり、これにより数分間の無呼吸
  にも耐えられますが、酸素に比して1/15でしかエネルギー変換が出来ません」
5.5億年前
 〜5億年前
カンブリア紀
巨大なゴンドワナ超大陸が形成され、大陸の河川より海に栄養分が大量に供給されて
生物の進化と大発生が起ります。 先カンブリア紀には数十種しかなかった生物の種類
が1万種にも爆発的増えました。 その原因は夫々の細胞が脳・神経・筋肉・消化器官
などの異なった役割をする多細胞生物へと進化したからではないかと言われます。
5億年前〜
4億年前
オルドビス紀
 光合成による生物の数がさらに増すことによって、大気中の
酸素濃度も高くなりました。 それに伴って成層圏のオゾン濃度
も高くなりオゾン層が形成されました。 オゾン層は生物にとって
有害な太陽の紫外線を吸収してくれるため、陸上の生活も可能
になりました。  まず内海や浅瀬の水面近くで生活し、葉緑素
を内包して、効率的な光合成を行う緑藻類のコケ植物が水際に
上陸し、つづいて気孔や通道菅を持って陸上生活に耐える事が
出来るシダ植物が上陸して森林をつくりました。

  
 葉緑体     初期両生類イクチオステガ
デボン紀になると「魚の時代」と称されるほど多くの魚類が進化
繁栄しました。 中でも淡水に棲む魚はエラやヒレを肺や四肢に
発達させ、両生類へと進化し、昆虫に次いで上陸をとげました。 
やがて脊椎動物に進化し、私達人類の源流になるという事では
大変重要なターニングポイントとなったのですが、何故重力も
かかり乾燥にも耐えながら、住み慣れた水中を後にしたので
しょうか? 当然、陸上が植物の森におおわれ、生活環境が
豊かになった事もあるでしょうが、もう一つ「魚の時代」は獰猛
な肉食魚も増殖させ、上陸することは水中の敵から身を護る
必死の手段であったと言う説も有力です。
石炭紀はシダ植物が繁殖し、直径1m以上、高さ30mにもなり、大森林を形成しましたが、次の
ペルム紀に陸地が広がり乾燥したためシダ植物は衰えました。 その残骸に土がかぶさりマグマ
の熱で炭化して石炭になりました。
   この頃になると爬虫類も現れてきます。 
ペルム紀は二畳紀とも呼ばれるこの紀末になると寒冷化が進み、シダ植物が衰退しました。
大気中の酸素が減少し、火山活動も活発になり、地球史上最大の生物大絶滅が起こりました。
全生物の90%以上が死滅し、その死骸が石油となりました。
三畳紀は爬虫類が急激に繁栄し、中頃に最初の小さな恐竜が
現れます。
植物では花粉による受粉と種子をつくる裸子植物が繁栄します。
ジュラ紀は気候温暖で、乾燥に強く、遠くに移動する事が可能な
裸子植物が内陸部に繁殖し、食糧が多くなったため恐竜の種類
も増え、ジュラシツクパークでもおなじみの様に恐竜が大型化
して行きました。
白亜紀は石灰チョークの地層から名付けられたもので、海底に
溜まったプランクトンの殻などから出来ていますが、かなり内陸
部まで分布しており、この事は海が広まり、大陸配置は現在の
世界地図に近付いたことを示しています。 地殻変動は火山活動
を活発にさせ、二酸化炭素の大量増加は循環器系の弱い恐竜
を衰退
に向かわせました。  この頃ネズミ大の大きさで比較的
環境に順応しやすい哺乳類がひつそりと生活していました。
第三紀は地殻変動・海進が進み、世界地図は現代にほぼ似たものになります。 気候は徐々に
寒冷化に向かい、絶滅した恐竜に代わって現在生息する哺乳類の祖先が次々に出現します。
植物は気温の低下と乾燥により草原に広がり、裸子植物(主として樹木)から被子植物(主として
花)に繁殖の主体が代わります。 合せて森に棲んでいた哺乳類も生活の場を草原に移し徐々
に大型化します。
 その中には最初の人類である猿人がいました。

猿人・原人
約500万年前にアフリカ大陸は地殻変動により東より圧迫され、南北に大きい
グレートリフトバレーという亀裂ができました。
そのため大陸東部は降水量が減り、森林は草原に変わりました。  
それまで危険の少ない樹上で暮らしていたサルはやむなく草原に降り、外敵の
危険と食糧確保の為の厳しい生活を強いられました。  そして生き残る為、
知能を発達させ、道具を使用し、樹上生活には適さない二足歩行をする猿人
の出現になりました。 180万年前頃になると肉食を多く採り、直立歩行や身体
つきも現代人に近く、脳も発達したホモ属原人(ホモ・エレクトス)に進化します。
※「現代人の脳容量は人類出現当初の3倍以上に拡大されたと言われ、平均1300〜1400ml
 あります。 この事は他の動物とは違い、運動以外に多く脳を使用してきた事を物語ります」
 そして後の時代、ごく一部がアフリカから中緯度地域に移動し、110万年前にはジャワ原人
 として、また50万年前には北京原人として足跡を残しています。
 
4億年前〜
3.5億年前
デボン紀
3.5億年前〜
2.8億年前
石炭紀
2.8億年前〜
2.3億年前
ペルム紀 
2.3億年前〜
2億年前
三畳紀
2億年前〜
1.4億年前
ジュラ紀
1.4億年前〜
65百万年前
白亜紀
65百万年前〜
180万年前
第三紀
180万年前〜
  1万年前
第四紀
第四紀は氷河期から始まり、暖かい間氷期との繰返し(約10万年毎)がありますが、人類が
進化し、火や道具を使い、環境に適応していった事により人類の時代と称されます。

旧人・新人
60万年前頃になると、原人の中には脳がさらに拡大して石器などを生活道具
として扱う事が出来る旧人(ホモ・ハイデルベルゲンシス)が出現します。
そして約13万年前には現代人の祖となる新人(ホモ・サピエンス)が現れました。
彼らの一部は中東を経由して、約5万年前にはスンダランドに、約4万年前に
はトルコから南ヨーロッパに、またカスピ海西部から北ヨーロッパに移動しました。

約2万年前ウルム氷期と言われた最終氷期の時代、現在よりも8℃も低く、
氷結により海面は100m以上も下がっていました。 この頃日本列島はまだ
大陸と陸続きで、日本海は内海となっていました。
列島に人類が姿を現しはじめるのは約1.5万年前、現在のインドネシア
辺りにあったスンダランドから陸伝いに近付き、すでに遠洋航海技術を
備えていたと推定され、海を渡って移動して来たと考えられます。
この頃はまだ氷期から温暖化の端緒についたばかりの頃で、縄文時代
と言われる狩猟主体の生活でした。

 5万年前頃をピークとして人類は新天地を求めて、中緯度を中心に、
一気に世界を拡げました。 そして温暖化が始まりますと獲物を求めて
北上し、ついにはアラスカから米大陸を縦断し、各々の地で原住民と
なります。 しかし、その事は定住を意味せず、狩場を求めての移動
生活が前提になっていました。
約6000年前、人類が移動の足がかりとした中東の地メソポタミア(両河の間の国の意味)の
肥沃な地に、牧畜と灌漑農耕を行い、楔形文字、時計の60進記数法、都市国家、青銅器、
鍬・鍬等の農機具、などの最古の生活文明が芽生えて来ます。
その後、エジプト文明、インダス文明、黄河文明と、大河の周辺に農耕文明が興り、人類に
とっての最初の生活革命が為されます。 すなわち麦・豆などの穀類と牛(使役用含む)・羊
・ヤギなどの家畜を育成する事により、食糧備蓄を可能にしました。 
その事はすなわち、生活そのものを科学する (実証的・体系的に物事を組み立てることに
よって、繰り返し同じ事を現出可能にもする)事を始めたものであり、徐々に忍び寄る寒冷化
の進行と共に四季が厳しくなり、狩猟機会が減少した環境に対応する手段でもありました。
※「これ等の文明は先行地から伝播して行ったと言うよりも、生活条件が変化した事による
 自然発生的な変革であると見た方が適当であるように思えます。
 もし農耕・牧畜情報が先進地より伝播して行ったとしても、受け手にとって必要なもの以外
 の情報は無視されると言う事からすると、伝播と言うよりは、この時代に「食糧生産技術」が
 開発され、それに伴う各地の環境に合った各種の生活文明が興ったと見た方が適当です。
 農耕の大きな特色の1つに「穀物の種から何倍かの収穫量を得る事」がありますが、メソポ
 タミアを中心とした「土の文化圏」で育成される麦は3〜5倍で、東南アジア、中国を中心と
 する「水の文化圏=モンスーン地帯」での稲作では10倍をはるかに超える高収穫量を得る
 ことが出来ます。  この様な生活環境がその後の各地の地域文化、或いは民族性に深く
 関わりを持ち、16世紀の大航海時代まで夫々の地域の歴史をつくりました。
1万年前〜
現 代
(これより欧米諸国の歩みについて)
   大英帝国          ←  ローマ帝国  ←古代ギリシャ              ←メソポタミア
メソポタミアに端を発した古代文明は移動手段(馬の家畜化・帆船の使用等)の発達により、
少しづつ近隣との交流が盛んになりました。  約4000年前には鉄器の技術(武器として開発
された為製法は国家秘密)を持つヒッタイト人がアナトリア(現トルコ)からメソポタミア(バビロニア)を
制圧、以後8世紀近く中東に君臨します。   一方同じ頃ギリシャでは青銅器文明を持ち都市
国家と民主制の原型を作った古代ギリシャ文明が栄え、各々農業(スパルタ)、交易(アテナイ)等の
特色を持ちました。
 やがて約3000年前になると、その西方、イタリア半島に海洋交易を行うエトルリア王国が栄え
ていましたが、在地の弱小民族であったローマ人が他民族との移入同化政策により力を得て、
やがて古代市民国家を作り、中・南部ヨーロッパを席捲して行きます
 一方、中・西部ヨーロッパでは約3200年前よりケルト人が中央アジア方面より渡来しまず武器
から、暫時生活機器へ
と「ラ・テーヌ鉄器文化」を拡げて行きました。  そして紀元前400年頃
にはブリテン島、イベリア半島、ガリア地方(フランス)、東欧までヨーロッパ全域に、各部族それ
ぞれに独立・定住して行きました。
 紀元前3〜1世紀頃になるとケルト人は組織力に勝るローマ帝国やゲルマン民族に圧倒される
ようになり、4〜5世紀のヨーロッパ民族大移動につながります。
ゲルマン民族は「ガリア戦記」によると、男性は基本的に狩猟、農耕は女性の仕事とされ、地力
が衰えると放棄して次の土地へ移動する半遊牧の生活でした。
ゲルマン民族は本来バルト海沿岸近くに住んでいましたが、紀元
前後には次第に南方と接触、南下定住する人達もいました。
 4世紀末頃になると「人口増加と気候変動・穀物不足」など生活
条件は一段と厳しくなり、加えて中央アジアに住んでいた遊牧民
フン族がやはり気候変動により新たな牧草地を求めて西進移動を
始めます。 まず、黒海北岸のゲルマン族(東ゴート族)を征服し、
続いて西ゴート族も圧迫したため、ゴート族はやむなく西に移動し、
イベリア半島(現スペイン・ポルトガル)に西ゴート王国を建てました。
これを引き金に、ヴァンダル族(カルタゴ、北アフリカ)、フランク族(ガリア、
フランス)、アングロ・サクソン族(ブリタニア)などが家財・家畜を伴った
家族大集団による「ゲルマン民族の大移動」を繰返しました。
ただ、ローマ帝国との関係は侵略的関係のみではなく、ローマ軍としての兵役勤務の見返りに
土地を与えられる事もありました。 この傭兵関係は民族の帰属関係を大変複雑にし、同じフン族
、ケルト族、ゲルマン族であっても傭兵先によって敵味方に分かれて戦うことも多くありました。
そして欧州各地で混血、融合されて定住し、その後もノルーウェー、スウェーデン、デンマークなど
、北欧諸地域のゲルマン系諸族(バイキング)が、世代を重ねるにしたがって発生する必然的な
問題点となる人口増加に見合う新たな土地を求めて移民(移住先の人達からすると侵略)します。
 そして、各地で侵略・防衛の戦闘を繰返しながら中世の荘園制封建社会へと進みます。
 ローマ帝国という強い力のもとに比較的安定していた古代は、民族大移動を経て、476年の
西ローマ帝国の滅亡をきっかけに、興っては消える不安定な戦国期に入ります。 
この権力の空白は、頼りにならない国王より、近くの有力者(侯爵・伯爵)に土地を託し、傘下に
入った後、改めて土地を借り受けるという、少し我国の平安期や鎌倉期を合せた荘園制度にも
似た地方分権の体制に変わって行きました。 弱体な国家権力はそれを保障する貨幣の信用
も失い、自給自足で物々交換経済になりました。
 しかし11世紀以後、戦乱も一段落し、社会が安定すると共に人口も次第に増加する中で、森林
や荒地を農地に変える大開墾時代が始まります。  農法も三圃制(3年に1度耕地を休ませる
農法で、これにより一定の農地での定住が促進されました)や農機具改良により農業生産力が
高まると生活に余裕が出来、余剰生産物を交換する市が出来ました。 さらに十字軍やバイキ
ングの影響もあり、イスラム圏、北欧圏など遠隔地との交易も盛んになり、市場は次第に都市へ
と成長します。 そして自給自足の経済から、商人・職人などの専業化、組織化(ギルド)が成さ
れ都市は益々発展し、人口も増え(当初数千人→14世紀数万人)、自治権と防衛を目的とした
ロンバルディア、ライン、ハンザ等の都市同盟が結ばれました
 この頃の都市風景は現在にもある程度残っていますが、町の中心にあり重要な意味を持った
広場と大聖堂、市庁舎、それを取巻く職人街、3〜5階建ての住宅と、外周を城壁で囲まれてい
ます。  当時は上下水設備も整っておらず、糞便・排尿は窓から通りに捨てられていた様で、
そんな事から1348年から数年間、黒死病(腺ペスト)が大流行し、当時ヨーロッパ人口約1億人
のうち3000万人もの人々が亡くなる大惨事となりました。  この黒死病の大惨事はその後の
ヨーロッパ社会を大きく変えていきます。 まず直接的には封建制を支える農村人口の圧倒的
な減少により、人手不足に陥った領主の荘園経営が苦しくなり、十字軍による戦費負担も合せ
て騎士、領主階級は没落し、封建制の崩壊を早めたという事です。 一方これだけの大惨事は
人々のキリスト教への懐疑心を生み、後のルネサンス(再生=キリスト教誕生以前のギリシャ・
ローマ文化を見直して現世の人間らしい生き方の再発見をしようという運動)に影響を与えます。
封建制の崩壊はまたもやそれ以前の時代のような権力
の空白を生み、治安や貨幣への信用という点で不都合
が出てきました。 特に15世紀中頃、オスマン・トルコが
ビザンツ帝国を滅ぼして以来、インド、東南アジアから
小アジアを経由する貿易には高い関税をかけて来たので
、他のルート開発を迫られ、国家的大事業である新航路
開発と言う大航海時代に突入しました。
これ等の事情が中央集権の絶対主義国家を生み、世界規模に膨らんだ商業・貿易と権力維持
の為の経費を要する国家運営の相互依存関係が出来ました。
そして、拡大した商業・貿易は流通(問屋制度)、生産(工場制手工業=マニフアクチュア)に革命を起
します。 こうして農業から商工業へ就労人口が増えて来た事も影響して、17世紀以後植民地
争いに勝利した英国から産業革命が起ります。 まず木綿工業(各種紡績機の発明)に始まり、
蒸気機関、製鉄、運輸など飛躍的な時間短縮と量産が可能になり、まず最初の先進国として
世界の工業化・資本主義化をリードします。 英国はしばらく機械輸出を禁じていましたが暫時
解禁され、他の欧米諸国も産業革命に取り掛かります。 
そして21世紀に至る現在も、食品工業も含めて日々技術革新が行われ、量産化・効率化と、
それを可能にする都市集中化の流れが延々として続いています。
  (これより我国の歩みについて) 
 約3000年前になると、黒潮・親潮の海流系も現在のようになり、日本列島を温暖・湿潤な気候
と変化させ、稲作にも適するようになりました。  ただ、この時点では未だ効率的な水稲栽培は
行われておらず、もっぱら陸稲栽培と多くを採取活動にたよっていました。 
 約2300年前、我国には先住の南方系の縄文人とは違った渡来系の
弥生人が、動乱の中国(春秋時代)をのがれて移住して来ました。
彼等は主に水稲耕作の発祥の地と言われる中国南部、長江の中・下
流域から来たようで、水田稲作と金属器という新しい生活技術を持ち
込み、北九州・四国・中国地方に定住しました。
「水稲栽培」というハイリスク・ハイリターンで、しかも備蓄する事が出来
る生活物資を得る事によって、富を蓄積する人達も現れてきます。
しかし、当時の社会は未成熟で規範を律する権力や法律も力を持っていなかったと思われます。
そのため、土地や水争いが絶えず、各々の部族単位で生き残りをかけた「戦いの時代」と言わ
れました。  やがて各地域で合従連合され大和政権として統一国家が形成されます。 
初期の頃は王直属の管理職(臣・連・国造など)と地方豪族(部)の連合政権でしたが、7世紀頃
になると、朝鮮半島をめぐる国際情勢も厳しくなり、白村江の戦いで破れて以来、危機管理的
中央集権国家を作ります。 そして律令制(律=刑法、令=行政法)、公地公民制・班田収受法
(口分田を国家から貸与し税金徴収)の制定により、古代共産国家体勢をとります。 
平安時代になると人口も増え(推定弥生時代60万人、平安時代690万人)、
従来の口分田のみでは不足してきた為、三世一身法(開発経費に見合わ
ずとして不発)そして「墾田永年私財法」が制定されたことにより、新田開発
が盛になりました。 それら新開田は「新しく水路を造り、水田として開発」
した者が私有地(荘園)として認められ、不輸祖(税金免除)・不入(治外法権)
の地として優遇され、次第に口分田をも駆逐して(公民としての農民の引抜
き雇用と権力者荘園領家に対する寄進の集中)、中央集権国家体制はその
経済的基盤と権力を失っていきます。
そうすると自分達の土地は自分達で守らねばならず、このような社会的背景の中から「武士」が
生まれ、源平など名家出身の頭領を中心にした武家集団に発展しました。 そして土地を中心と
した「ご恩と奉公」の関係主体の武家政権が出来ます。 これらは土地(本願地)と家族を命を懸け
で守る「一所懸命」の生き方を生みます。 その後の室町〜戦国期、国家としての権力を失い、
治安維持能力が無くなり、他の動物の社会環境と大差ない、「弱肉強食の世界」に迷い込んだ
時代においても、この「一所懸命の思想は生きのびる為の最終的な選択肢」となり、親兄弟や
同族が止むを得ず敵味方に分かれて戦うことも度々ありました。
 織田信長・豊臣秀吉・徳川家康と引継がれた「天下統一事業」は社会規範の回復事業でもあり
ましたが、庶民にとっては、安定に対する税負担(治安・治水要員の扶養)という面も持ちました。 
そしてこの安定は人口増加(推定安土桃山時代1230万人、江戸時代3000万人)を生み、何等か
の経済成長を必要としました。 そこで江戸時代になると平安時代中期と同じく
新田開発が盛んに行われるようになりました。  治安回復とインフラの整備
等に税の収増を必要とした徳川幕府側と、家族が増えてきたにも関わらず、
1町歩以下の相続が認められず、次男・3男への分割相続に苦慮した農民側
のニーズが一致し、元禄期の経済成長のピークを迎えるまでに、水路を引き、
荒地を開墾して、田畑は2.5倍に膨らんだと言われています。
新田開発とインフラの整備が一段落した元禄期以後は税制も緩和され、4代将軍家綱の頃、
6公4民から3公7民と大減税が実施されました。 そのため庶民の生活にも余裕が出てきて、
いわゆる元禄文化の充実期を迎え、享保の改革で5公5民になるまで続きます。 その頃世界
は絶対王政、大航海時代、植民地拡大と、我国周辺には少しづつ外圧が出てきました。
キリスト教徒を中心とした農民一揆、島原の乱(武力実態は関ヶ原敗戦浪人の反乱)に危機感
を持った幕府は1639年鎖国令を発動し、外国との窓口を長崎・出島のオランダと中国・韓国に
限定し、海外との交流を絞り込みます。 (※ただし、オランダ商館長は幕府に外国情報を提供
する義務を負っていたため、産業革命や機械技術、アヘン戦争等、かなり正確に世界の情勢を
把握していた形跡があり、後の欧米訪問時には説明の多くを既に知っていたと言われます。)
米経済(2石=1両=8万円)は徳川政権の基盤であり、封建制を採っていた盟主、徳川家でも
300万石(約1,200億円)、加賀藩100万石(約400億円)と財政規模は決して大きくありません。
もちろん地域産品、商業等の税収はありましたが、緊縮財政を強いられた事には変りません。
 そして、政治、経済、国防、税などの主体を国民に求めた明治維新があり、欧米先進諸国を
「坂の上の雲」に見て、我国最大の社会革命は多くの犠牲を払いながら、急激な構造改革を
進めます。 明治時代は人口もさらに増え(明治5年3481万人、大正9年5596万人)ました。
産業革命以後、地球規模の分業化時代に突入した国際社会に遅ればせながら参入した我国
は、資源小国として「農業立国」から、人的資源を生かした「工業立国」への早急な転換を迫ら
れました。  
  やがて「坂の上の雲」に追いついたと感じるのも束の間に、
工業化の流れの中に何かを置き忘れてきたことに気づきます。
そして、有機農法、水耕栽培、家庭菜園、Uターン、団塊の世代
のIターン、リサイクル運動、自然回帰運動等々、マグマ活動が
茫漠と始まります。
それは、あたかも数マイクロ程度のバクテリアが人体の中の水分
やその他の分子がすごい勢いで飛び回っている中を、触角が
無くてもイオン濃度差を見つけて目的地に到達する鞭毛運動に
似ています。 宇宙から見れば超マイクロ程度の人類が、地球上
で生命存続の各種ストレスを受ける中、ただ単純に住みやすい濃度の場所を求めて生命活動が
行われているとするならば、人類の生存という面に関しては、人災を除いてはそう悲観する必要が
ないのかも知れません。
現 代 〜
未 来
現代は間氷期にあり、10万年毎の氷期との定期的な繰返しが行われて来た経緯から推して、
次に氷河期が来るのは普通に行くと8万年後という事になります。
過去、二畳紀には寒冷化と共に最大の生物絶滅を経験し、その後も気象変動による盛衰を
繰返していますが、人類が8〜10℃程度の寒冷化、又100m程度の海面低下、その他直接的
な自然要件の変化に対応できずに絶滅に至る可能性は殆んど考えられません。 
太陽の寿命は50億年後、地殻変動による超大陸の再出現は数億年後と予想され、我々人類
の叡智では及ばない自然の驚異は大きい彗星の衝突ぐらいのものではないかと思われます。
一方、私達人類が自らの手でその生存の条件を脅かしているものは大小合わせて大変多
くあります。 ※人類生存にとってのポイントなので「食糧自給」で詳述します。
「未来」がどうなるか? という点では誰にも正確には予測が出来ないでしょうが、過去から
の連続線上に未来があるとするならば、因果関係から来る部分的な予測は十分可能である
と思われます。
 そこで、今まで見てきた35億年前の生物誕生以来の足跡を再度たどってみると、
生命とは = (1)今を生きる。 (2)子孫を残す」という2点に集約されますが、それは
地球の歩みの中で奇跡的条件により生存が成り立った」ということです。
そして「生きるという目的と意志の元に、変化する環境に適応」して来ました。
例えば「微生物」はその大きさ故に少しの細胞で生きました。 「植物」は豊富にある炭酸ガス
と水と太陽の光により光合成して、場所を移動する必要なく生きました。
「牛・豚など牧畜の対象となった動物」は人類と同じく酸素呼吸をして生きました。 
夫々が生きる為に必要な手段のみを選択して生き、そして子孫を残して来ました。
 人類の場合も基本的には同様に、生きる為の大量の遺伝子を受継ぎ、その一部を使って
生存している事には違いないのですが、一方では現在のところ、その知能を利用して食物
連鎖の頂点に立っている為に、生きると言う事の為の最低必要限度の食物の採取だけに
とどまらず、「牧畜と農耕による食糧備蓄」を行うようになりました。
この事が人類の生存を比較的容易にし、現在60億という世界人口を抱えるに至ったのですが
、さらに数十年以内(人類の歴史からみるとほんの一瞬)には、100億人を突破すると予測され
ています。  ここで人口が増える事が罪悪と言っているのではありません。  また、備蓄に
よって豊かに暮らす事が悪いと言う事でもありません。 多くの人類が豊かに暮らすために、
使用する有限の資源(化石水、化石燃料など)や環境破壊物質(農薬、化学薬品など)の使用
を多少とも減らす工夫が出来ないかと言う事です。 もちろんこれ等の事は今更言うまでもなく
、現代の生活上の常識となっています。 また、各方面で危機意識を持って真剣に取り組んで
おられます。   ただ、この動きは現在のところ被害者となる可能性は少ないにも関わらず
「生産側」に顕著に出ていますが、相対を成す「消費側」にあまり動きがある様に見えません。
そこには価格、量、味、外見など色々な消費上の障壁があります。
 しかし、よく考えてみると
これらは流通上の障壁でもあります。 そして「流通上で何等かの努力、工夫が成されれば
解決する課題は多々ある
」という事は、我々流通に関わる業者の責務であると言えます。 
現状の食品流通は量産、量販による効率と価格の追求が成されてきたという経緯からして、
量販とならない商品はB・C級商品として、さらに、利益が取れない商品は消費者の選択外
商品と烙印付けされて、流通市場から排除されてきました。  しかしそれは、その時点に
おいての流通業者の不採算商品であったに過ぎません。  その事と消費者のニーズとは
別の次元の問題なのですが、残念ながら流通市場においては同一視され、市場の主舞台
から外されて、必要な消費者に細々と流れるというのが実態です。  こうして生産量の全て
が消費されるのではなく、規格外として或いは間引き等として、不遇?の内にその生命活動
を終えます。  そこには過去何ヶ月間かの肥料や大量の水の消費がありました。  しかし
酸素も製造してくれました。 ただ、ブドウ糖も製造してくれていたのですがそれはどうなった
のでしょうか? ここで、+−が合ってきません。  この自然のバランスを崩したのはだれで
しょうか?  当然、人類が自然採取の生活から、牧畜と農耕栽培生活に入った約6000年も
前にさかのぼるのですが、歴史では「食糧を自然の恵みとして大変感謝」すれども、廃棄の
記録は見当たりません。 そのような生活態度の中から、眼に見えないバクテリアが種類に
よっては大変友好的な仲間である事も知りました。   むしろ保存や再生に対する執念とも
言うべき知恵の歴史があります。   対して現在の我国の「食」はどうでしょうか? 
食糧自給率は別記の通り40%です。 という事は輸入相手先国の食品育成に要した大量の
水を消費しているという事実と、世界規模の食糧難が発生すると60%もの人々が食糧危機
に陥る事を覚悟しなければならないと言う事です。 ここまで単純な数字ではないでしょうが
、その時は国家的危機は免れません。  もちろん危機が差し迫ってきた時には行政もその
責務として動くでしょう。 また生産・流通も動くでしょう。  しかし私達人類は「食」に関する
限り、その手当ての時期を失して多くの犠牲を出した経験を歴史上数限りなくしました。
そして、それが今まで見てきたような地球生命の個体史であるとする
と、その手の届かない宇宙や地球規模の変動は別として、私達の身の
周りの変化に遠からず対応しなければ、私達自身の社会がまねいた
「食糧不足」という生存の危機に直面しなければなりません。
それがどう言う事態であるかは「樹上から平原へ」「ゲルマン民族の
大移動」「バイキング」、そして資源の少ない我国の食糧確保の歴史を
見れば大体想像がつきます。   人口爆発を主因とした食糧危機は
ここ十数年先に迫り、過去の危機を上回る事が十分予想されます。 ただ過去と相違するのは、
人類はそれに対処しうる情報も技術も持ち合わせたという事です。 しかし、それを可能とする
には「他を頼らず、個々の立場で責任を果たす」という国家単位での自己責任の態度が必要と
なります。 それが、「地産地消」であり、「省エネ」であり、「食品製造技術・流通技術」の革新
であるとすると、誰もが関係してくることですし、また誰もが責任を持たなければその生存を
脅かされかねないという事です。
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 そのような将来に対する観点から、私たちは食品も扱う流通業者として、当店で出来る身近な事から、
 色々な方法を模索していきたいと思います。
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